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色彩心理学は学問なの?占いなの?(1)

2008年07月08日掲 載

  末永メソッド色彩心理研究所・通信第1号

「色彩心理学は学問なの?占いなの?(1)」

もしも選んだ色にその時の気分や喜怒哀楽がシンボリックに現れるとしたら、人間の心の働きというものは凄いのではないだろうか。そもそも人間は森羅万象、すべてのことに意味を見出そうとする。色一つにも、知らず知らず意味を託してしまうのではないだろうか。そんな思いから私が色彩心理の初歩的な研究に手を染めたのは20代初め、すでに40年前のことになる。子どもの絵に現れる心理を調査する研究団体に所属し、色と心理状態の関係を調べることに没頭していた。というのも、私自身、当時は画家を目指して日々キャンバスに向かってもいたからだ。自分が選ぶ色にはどんな心理的な意味が潜んでいるのだろうか。私のあまりの熱中ぶりに周囲の友人からは「それって占いとどう違うの?」とひやかされることがあった。果たして、色彩心理学は学問なのか、占いなのか。

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絵:末永蒼生
人は風景の色一つを眺めても、そこに意味を見出そうとする。
人間は常に意味を求めて生きているのかもしれない。


色彩心理学の研究は心理学という名がつく以上、そこには学問的な手法が用いられる。つまり統計処理など数学的な方法と、同じ条件下における再現性の確認だ。たとえば、青という色の心理的な意味を調査し、そこに「孤独」などという共通の意味が観察されるとして、その確立は何%なのかという統計的な確率論が求められる。
一方、“占い”であるなら、そのような客観的なデータは必要とされないだろう。なぜならおみくじ占いであれ、トランプ占いであれ、それはクライアントの心の扉を開くための鍵、つまりきっかけでしかないからだ。
「あなたには近いうちに幸運な出会いがあるでしょう」と占われても、そのような抽象的な物語であるなら、すべての人に“的中”するからだ。
つまり、“幸運な出会い”が何を指すのかを決めるのはクライアント自身の主観なのだ。道に落ちていたお金を拾うことなのか、仕事に就くことなのか、恋人の出現なのか、何であれ“幸運な出会い”には違いない。つまり、そこは実体とは関係なくクライアントの自由な人生解釈に任せられている。
星占いといえば女性誌の定番ではあるが、それらの回答欄を見て「当たっていたよ!」と真顔で喜ぶ若い読者の姿は微笑ましい。でも、それは当たっていたのではなく、読者自身が自分なりに都合良くつじつまを合わせて喜んでいるに過ぎない。マジックショーと同様、ファンタジーを楽しむ心の遊びなのである。といって、私は決して占いを軽んじているのでない。むしろ人間のメンタリティーにとって大切なのではないかと思う。占いには、心に働きかける別の効用がある。人々が占いに求めているのは、客観的な解決ではなく主観的な心の持ちようがもたらす癒しなのだ。そして、それこそ現代人が求める心理的な癒し効果のメカニズムと関わってくる。つまり、私たちの心は科学技術や物の豊かさでは満たされない、むしろ科学的な解決を越えたレベルで苦悩しているからだ。なぜ、いつの時代も人々が占いを必要とするのか。心理的な効用という点から考えると、そこにはなかなか深淵なものがあるのではないだろうか。

さて、では色彩心理学の場合はどうなのだろう?心理学という以上、学問的な手法、つまり客観性を持った研究であることは前提である。しかし、私を悩ませるのは、そこに色彩という極めて主観的な好き嫌い、つまり嗜好が関わってくる要素があることである。しかも色の嗜好は日々変化することもあるから、数値として確定することが難しい。色彩心理の研究がそのスタートから抱えていた宿命は、この客観性と主観性という対立する視点をどのように統合するかという問題だった。
数字が示す客観性だけならすっきりはするけれど、それでは流動的な心を捉えることができない。といって、主観的な解釈だけでは色と心の関係についての普遍性を探ることができなくなる。何度も頭を抱えたものだ。しかし、この矛盾に満ちた課題こそが私を惹きつけた。この難問が私を色彩心理の研究に、いや、色彩を通して人間心理を探求することの尽きない面白さに引き込んでくれたのだと思う。(つづく)



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