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2007年03月15日

子どもたち -畏れるべき存在

NHK「課外授業 ようこそ先輩」への出演
僕が出演したNHK「課外授業 ようこそ先輩」を見て下さった方々から、いろんな感想を頂いた。
そこに共通したものがあるとすれば、わずか二日間の授業の中で子どもたちが激しく変化していくことに心動かされたというものだった。
そう、38名の子どもたちがそれぞれのペースではあったけど、変化を見せた。しかし、その道筋は単純なものでは決してなく、むしろその複雑さが僕の心に刻まれた。
番組を見ていない方のために簡単に解説をしておくと、この番組はゲストが自分の出身小学校に出向き、そこの子どもたちに授業をするという趣向である。
しかし相手は子どもたちだし、ライブだからやり直しもきかない。そんな状況で子どもたちの“先輩”であるゲストは、普段とは違った姿をふと見せたりする。そんな面白さもあって、これまで僕も何度か見ていた番組だった。
ところが、今度は人ごとではない。僕自身、初めて会う子どもと対峙した時何が起きるのだろうか。そんなことを思いながら、子どもたちの待つ長崎の「諏訪小学校」に向かった。51年ぶりの母校だ。(僕が小学生の時は磨屋小学校という校名で、10年前の統合で改名)
ここでは、30分の番組では編集上カットされていたことも含めて二日間を振り返ってみたい。

美術の時間、子どもたちは主人公か?
6年1組の一日目の授業。子どもたちにはいつものように好きな絵を描くように課題を出してあった。子どもたちが描いていたモチーフは、校舎、ピアノ、飼育されているウサギ、シーソー、体育倉庫、バレーボール、校舎内に展示してある祭りの山車物…。
おそらくは、日頃、美術の時間で行われる写生で描き慣れているものなのだろう。僕自身、小学校時代の写生の時間を思い出す。校庭をうろうろ歩いて、何を描くか探して歩く。探すというより、とりあえず何でもいいから時間内で描けそうなものを決め、鉛筆で下書きをした後水彩絵の具で着色する。何度かやっているうちに、まるで漢字の書き取りのように機械的に作業を進めるのだ。絵を描くことすら、どこか機械化されてしまう子どもたちの心と手。そんな授業では子どもたちは表現の主人公であることを少しずつ諦めていく。今回、母校での子どもたちの絵を見て、子どもたちの受身の姿勢は何も変わっていないことを実感した。
今回、僕が一番に思ったのは、何よりも心を表現する楽しさを味わってほしいということだった。授業の最初、僕は突然床に模造紙を敷き、その上に寝ころんだ。そして、その僕の体のラインをなぞるように子どもたちに頼んだ。

課外授業人型1.jpg 課外授業人型2.jpg 

「えーっ?!」と言いながらも、数人が黒いマーカーを片手に僕のボディーラインを描きはじめた。クラス全員が興味津々である。そして、出来上がった等身大の人型に、僕はポスターカラーで思いきり色を塗り込んだ。子どもたちから声が飛ぶ。「ピカソみたいだ!」そう、ピカソは子どもたちにとっても自由な絵のシンボルらしい。
次に僕は色を塗り込んだ人型を使って自己紹介をした。
「オレンジ色は僕が子ども時代に長崎で吸い込んだ太陽のエネルギー。緑色はいつも目にしていた山の色。青は夏には泳いでいた海の色!こういう思い出がつまっているのが僕なんだ」。

心の色はどんな色?
このワークの瞬間、子どもたちの目が輝いた。間髪を入れず僕は言葉を発した。「絵って心を描くんだよ」。
子どもたちの顔が困ったような、それでいてワクワクした表情になっている。心を描くって、どうするんだ……?
そこで、僕は最初に子どもたちが描いた写生画について聞いてみた。「バレーボールを描いた人は、バレーをやっている時に何を感じてるの?」
「頑張ろうとか、勝った時の嬉しさとか……」
「ピアノを描いた人は?」
「練習は大変だけど、うまく弾けた時は楽しい!」
「じゃ、その気持ちの部分を絵に描いてみようか?嬉しいとか楽しいってどんな色だと思う?」
ここから気持ちを色で表現するレッスンが始まった。全員が思い思いに感情を画用紙にぶつける。

課外授業発表風景4.jpg

番組ではカットされたが、クラス全員で校歌を歌いその情感をそれぞれが絵にしたとき、様々な想いが色となって教室に溢れていくような感動的シーンもあった。
なんだかうまくいきそうな感じの一日目だったのだが、最後に子どもたちの感想を聞いて、僕はドキッとした。
「色で気持ちが出せて面白かった」。
「心って色で表現できるんですね」。
「思い切り気持ちを出せてすっきりしました」。
う~ん、あまりに出来すぎた答えではないの?子どもたちは僕の授業の意図を察知し、先回りして期待された答えを述べているふしがあるのだ。
子どもというのはあなどれない。大人に受け容れられる術を無意識のうちに身につけているのが子どもなのだ。教室の中での彼らは、どこまでも大人の期待にみごとにはまってくる。だが、それが彼らの全てなんかじゃない。そのことを大人は自覚していないと、子どもを見誤ってしまう。子どもたちの本音なんかそう簡単に引き出せるものではないんだ。実際、僕自身の子ども時代も簡単には大人に本当の心なんか見せなかったものだ。

色でケンカしてみよう!
さて、二日目、僕とディレクターは相談して急遽新しい色彩ワークを試みることにした。
「さあ、今日は“色でケンカ”をやろう。誰か僕とケンカする人いないか?」
やや挑発的な僕の誘いに二人の男の子が挑んできた。床に模造紙を広げ、僕対二人の男の子が対戦することになった。
一言も発せず、絵の具だけで感情をぶつけ合うゲームだ。僕が最初の一筆で色を塗ると、負けじとばかり彼らも色をぶつけてくる。歓声が飛ぶ。10分くらい戦っただろうか。大きな紙はドロドロになり、気づいたら3人とも素手を使ったペインティングに熱中していた。
“観戦”していた他の子どもたちはすっかり高揚し、うずうずしているようだった。「よし、みんなもやってみよう!」
その後の展開は想像にお任せしよう。

課外授業色でケンカ3.jpg

40分ほど経った頃には、教室のフローリングの床は水彩絵の具でドロドロになった。子どもたちの色への欲望が噴き出し、もはや誰も止めることができなかった。子どもたちも手はもちろん、顔までも絵の具だらけになり、しかし、その表情は清々しいものに変わっていた。
そして、その後の時間は打って変わって静かな時間が訪れたのだった。
「これまで誰にも言えなかった大切な気持ちを色で表現してみようか」という僕の呼びかけに、自分の机に戻った子どもたちは、穏やかな表情で座っている。あたかも瞑想でもしているかのようだ。彼らの気分が動から静へと一転した瞬間だった。

12歳の心は深い
時間をかけながら少しずつこみ上げてくる感情があるのだろう。6年間の思い出、友だちとのケンカ、スポーツで負けた悔しさ、いじめられた悲しさ……。なかなか感情が出なくて、じっと白い紙を睨んでいる子も少なくない。特に男の子の中には、感情表現が不得意でなかなか色のイメージが湧いてこない子もいる。そんな子が絞り出すようにして、ついに気持ちを出してくれた時には胸が熱くなる思いだった。
授業も終わりに近づいた頃、全員が自分の描いた絵を見せながら色で表現した心について発表し合った。その語り口には、深く自分の心の底まで潜りターンして戻ってきたような、その子ならではの心模様が滲んでいた。卒業、友だちと別れる寂しさ、中学という新たなステージへの不安と期待……。
未知の世界への橋を渡ろうとする一人ひとりの思いは、期せずして僕を50年前に引き戻した。あの時、自分も不安の中で中学受験に取り組んでいた。12歳という子どもと大人の心が混じり合う微妙な時期。大人の世界への興味と畏れ……。手探りの中でとにかく前に進むしかない気分だったことを思い出す。
目の前で絵を見せながら語っている子どもたち。彼らの中に、未知の人生へ第一歩を踏み出そうとする孤独な表情を垣間見た気がする。
大人の思惑に適応する能力が高い彼らは、一方では、その柔らかく敏感な感性でどこまでも深く自分の心の中心にも降りていく成熟も見せている。その心の両面が交差した瞬間の表情にドキリとさせられる。もしも、大人がその複雑さを感じ取れなければ、子どもたちのいじめの世界も、自ら死に走る心にも盲目でいることになるのだろう。
子どもたちの心は深く、畏れるべき存在である。あらためてそんな気持ちを深めた二日間だった。

投稿者 heart-color : 2007年03月15日 12:24

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