« クジラは魚ではなく野生哺乳動物だということについての一冊の本 | 色即是心・TopPageへ戻る
2007年09月28日
映画『ミリキタニの猫』、溢れる赤はなにを語るのか
映画『ミリキタニの猫』、溢れる赤はなにを語るのか
巻頭、ニューヨークの路上で絵を描き続けるミリキタニの姿には、家も家族も職もなく、それでも絵を描き続ける人間の凄みのようなものが感じられる。絵を描いていなければどこにでもいるホームレスと変わらないだろう。しかし、路上で絵を買ってもらう以外に金を恵んでもらうことを拒否する。画家の誇り、人間の誇り。
アーチストのドキュメンタリー映画は意外に退屈なものが多い。しかし、日系アメリカ人画家を描いたこの作品には久々に心揺さぶられた。
絵を描きながら彼はつねに喋り続けている。「戦争はいかん!殺生はいかん!第二次大戦、アメリカのミスだ。日系人12万人が違法に収容された」。
そう、当の彼自身がかつて強制収容されたのだ。若き日に人生の可能性を奪われた憤り。故郷広島に落とされた原爆への怒り。言葉で喋るだけではない。彼は何より絵で喋り続ける。
「この国はクズだ!」と叫びながら描く収容所の荒涼とした風景、原爆投下で真っ赤な炎を上げる広島の地獄図……。
彼の色彩の特徴は赤だ。戦火の赤、原爆の炎の赤、収容所の砂漠の赤。忌まわしい赤だけではない。日本の赤い鯉、花の鮮やかな赤……。そもそも彼はどこにいても赤のベレー帽を被り、しばしば赤いジャケットを着込む。彼のシンボルとも見える赤は何を語るのか。
9.11の貿易センターへのテロで混乱する路上で煙に咽せながら淡々と孤独にクレヨンを走らせるミリキタニ。
彼の絵に一貫するビビッドな赤こそ、自分の意志を裏切ることなく人生を生き抜いてきたミリキタニの魂の迸りではないだろうか。彼の絵は小ぎれいなリビングルームに飾られる装飾品ではない。不条理な人生を生き延びるための営みであり、生き延びようとする人々への共感だ。
同じ路上で売られている装飾画を横目で見ながら「あれは商業美術だ」と吐き捨てるように言う。彼は絵をビジネスにはしてこなかった。
映画の終盤、彼の表情が安らかに見えるのは、実の姉との再会や収容所への邂逅の旅、社会保障のケアで居場所を得ただけが理由ではないだろうと思う。絵だけではない。何より自らの人生を売り渡さないことを貫いた人間の清々しさだ。
「Make Art Not War! 」と口走りながら絵を描き続けるミリキタニの後ろ姿に、僕は「自らの人生の絵は自ら描け」というメッセージを聞いた。ミリキタニの物語はこの世で喘ぐ誰にとっても胸に迫ってくる。
東京・渋谷ユーロスペース他にて全国順次ロードショー!
公式HP: http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani
写真: 映画『ミリキタニの猫』より (c) lucid dreaming inc.
投稿者 heart-color : 2007年09月28日 18:51
