映画『ミリキタニの猫』、溢れる赤はなにを語るのか

2007年09月28日

映画『ミリキタニの猫』、溢れる赤はなにを語るのか

巻頭、ニューヨークの路上で絵を描き続けるミリキタニの姿には、家も家族も職もなく、それでも絵を描き続ける人間の凄みのようなものが感じられる。絵を描いていなければどこにでもいるホームレスと変わらないだろう。しかし、路上で絵を買ってもらう以外に金を恵んでもらうことを拒否する。画家の誇り、人間の誇り。

アーチストのドキュメンタリー映画は意外に退屈なものが多い。しかし、日系アメリカ人画家を描いたこの作品には久々に心揺さぶられた。
絵を描きながら彼はつねに喋り続けている。「戦争はいかん!殺生はいかん!第二次大戦、アメリカのミスだ。日系人12万人が違法に収容された」。
そう、当の彼自身がかつて強制収容されたのだ。若き日に人生の可能性を奪われた憤り。故郷広島に落とされた原爆への怒り。言葉で喋るだけではない。彼は何より絵で喋り続ける。
「この国はクズだ!」と叫びながら描く収容所の荒涼とした風景、原爆投下で真っ赤な炎を上げる広島の地獄図……。

彼の色彩の特徴は赤だ。戦火の赤、原爆の炎の赤、収容所の砂漠の赤。忌まわしい赤だけではない。日本の赤い鯉、花の鮮やかな赤……。そもそも彼はどこにいても赤のベレー帽を被り、しばしば赤いジャケットを着込む。彼のシンボルとも見える赤は何を語るのか。
9.11の貿易センターへのテロで混乱する路上で煙に咽せながら淡々と孤独にクレヨンを走らせるミリキタニ。
彼の絵に一貫するビビッドな赤こそ、自分の意志を裏切ることなく人生を生き抜いてきたミリキタニの魂の迸りではないだろうか。彼の絵は小ぎれいなリビングルームに飾られる装飾品ではない。不条理な人生を生き延びるための営みであり、生き延びようとする人々への共感だ。
同じ路上で売られている装飾画を横目で見ながら「あれは商業美術だ」と吐き捨てるように言う。彼は絵をビジネスにはしてこなかった。

映画の終盤、彼の表情が安らかに見えるのは、実の姉との再会や収容所への邂逅の旅、社会保障のケアで居場所を得ただけが理由ではないだろうと思う。絵だけではない。何より自らの人生を売り渡さないことを貫いた人間の清々しさだ。
「Make Art  Not War! 」と口走りながら絵を描き続けるミリキタニの後ろ姿に、僕は「自らの人生の絵は自ら描け」というメッセージを聞いた。ミリキタニの物語はこの世で喘ぐ誰にとっても胸に迫ってくる。

東京・渋谷ユーロスペース他にて全国順次ロードショー!
公式HP: http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani

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写真: 映画『ミリキタニの猫』より (c) lucid dreaming inc.

クジラは魚ではなく野生哺乳動物だということについての一冊の本

2007年05月14日

『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』(星川淳著 幻冬舎新書)

僕が育った長崎では「おくんち」と呼ばれる諏訪神社の秋の大祭が行われる。その中で、子ども心にも焼き付いたのがクジラの山車だった。大きなクジラをかたどった山車が数人の屈強な男たちによって曳かれ、神社の広場でものすごい勢いで回転する。観衆からどよめくような喝采が上がる。海の文化の中で生きてきた長崎人の血が躍るのだろう。
そんなわけで僕も子どもの頃からクジラの肉を食べて育った。祭りの山車として登場するクジラには感謝がこもっていた。しかしそんな素朴な捕鯨の時代はすでに去り、今、クジラの存在は僕たちと自然環境との関わりを鋭く問いかけてくる。
「捕鯨問題」という言葉を聞いた人は少なくないと思う。国際的には商業捕鯨が規制される方向にある今日、日本が「調査捕鯨」という名目で大量のクジラを獲り続け、国際的な批判を浴びている。一方、自然環境への問題意識の高まりや、精神的な癒しへの欲求もあり、若い人たちがクジラやイルカと触れあうホェールウオッチングも一般的に知られるようになった。
しかし、そんな体験をした人たちも、そのことと「捕鯨問題」がどのような関係にあるかピンとこなかったり、そのことについて考えようにも情報がなかったりという状況だろう。ここで紹介する一冊の本は、複雑に見える「捕鯨問題」をじつに分かりやすく解き明かしてくれる。最近刊行された『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』(星川淳 幻冬舎新書)である。

クジラの本2.jpg このタイトルには“なぜ世界で一番、海の大型野生動物を殺すのか”という意味がこめられている。かつて、象牙細工のために野生象が大量に殺され、絶滅の危機から密猟が厳しく取り締まりを受けるようになった。「捕鯨問題」はそれと同じような問題を含んでいる。しかし、ここに来ても、日本は水産庁を先頭に「調査捕鯨」という隠れ蓑で、実質的な「商業捕鯨」を押し進めようとしているらしい。その言い訳の一つに「日本の伝統文化を守る」という旗振りをしているのだが、その“歴史認識”も根拠が乏しい。伝統的というなら、かつては沿岸に泳ぎ着いたりしたクジラを捕獲していた慎ましい捕鯨だったはずだと本書でも指摘している。僕が子ども時代に見ていた祭りに登場するクジラの山車は、機械ではなく人力でクジラと対峙していたことを伝えていたのだ。

しかし、今や、世界中の海に出かけていって近代化した装備で商業資源としてごっそり獲ってくるのだから生態系への悪影響も深刻なはずだ。
話は逸れるが、僕はこの本を読みながらクジラと現代の子どもたちの姿が重なってしまった。僕の「子どものアトリエ」に集まる子どもたちの中にも、日々塾に追い立てられストレスで消耗している子がいる。中には何らかの虐待の傷を負った子もいる。現代では、全ての子どもたちが競争的な教育路線に囲い込まれ喘いでいる。自由に絵を描くひととき、彼らは息を吹き返しているかのようだ。最近の過剰ないじめや自殺事件は、いわば、“子ども世界の生態系”が狂ってきていることのSOSといっていい。僕がアトリエ活動のネットワークを拡げているのはそのためであり、子どもたちの“保護区”の役も果たさざるを得ないからだ。クジラの危機的状況を生み出している人為的な仕組み。そこには、子どもたちの自然性を奪うことと引き替えに、教育という名目で人的資源としての商品価値を高めようとする開発志向と同じ根が透けて見えてくる。

さて、クジラの保護区を守ろうとする世界的な潮流の中、なぜ日本は突っ張りつづけているのか。本書のどのページにもそのことを解明する道筋が引かれていて、隠された経済や政治の仕組みにまで目が開かされる。
著者は現在、グリーピース・ジャパン事務局長を努め環境保護や平和活動に取り組んでいる。「捕鯨問題」に向き合う当事者として問題の根を解き明かす説得力はずしりと響く物がある。
しかし、長年屋久島で暮らし、スピリチュアルな生き方を通して環境問題にもアプローチしてきた著者の眼差しはどこまでも穏やかだ。このしなやかな精神の持ち主が、グリーピース・ジャパンの活動を牽引していることに希望を感じるのは僕だけではないだろう。
20数年前、著者を訪ねて屋久島に滞在したことがある。その時と少しも変わることのない自然への瑞々しい愛情が今回の本にも溢れている。読み物としても環境問題を考える資料としても秀逸な一冊だと思う。


 

子どもたち -畏れるべき存在

2007年03月15日

NHK「課外授業 ようこそ先輩」への出演
僕が出演したNHK「課外授業 ようこそ先輩」を見て下さった方々から、いろんな感想を頂いた。
そこに共通したものがあるとすれば、わずか二日間の授業の中で子どもたちが激しく変化していくことに心動かされたというものだった。
そう、38名の子どもたちがそれぞれのペースではあったけど、変化を見せた。しかし、その道筋は単純なものでは決してなく、むしろその複雑さが僕の心に刻まれた。
番組を見ていない方のために簡単に解説をしておくと、この番組はゲストが自分の出身小学校に出向き、そこの子どもたちに授業をするという趣向である。
しかし相手は子どもたちだし、ライブだからやり直しもきかない。そんな状況で子どもたちの“先輩”であるゲストは、普段とは違った姿をふと見せたりする。そんな面白さもあって、これまで僕も何度か見ていた番組だった。
ところが、今度は人ごとではない。僕自身、初めて会う子どもと対峙した時何が起きるのだろうか。そんなことを思いながら、子どもたちの待つ長崎の「諏訪小学校」に向かった。51年ぶりの母校だ。(僕が小学生の時は磨屋小学校という校名で、10年前の統合で改名)
ここでは、30分の番組では編集上カットされていたことも含めて二日間を振り返ってみたい。

美術の時間、子どもたちは主人公か?
6年1組の一日目の授業。子どもたちにはいつものように好きな絵を描くように課題を出してあった。子どもたちが描いていたモチーフは、校舎、ピアノ、飼育されているウサギ、シーソー、体育倉庫、バレーボール、校舎内に展示してある祭りの山車物…。
おそらくは、日頃、美術の時間で行われる写生で描き慣れているものなのだろう。僕自身、小学校時代の写生の時間を思い出す。校庭をうろうろ歩いて、何を描くか探して歩く。探すというより、とりあえず何でもいいから時間内で描けそうなものを決め、鉛筆で下書きをした後水彩絵の具で着色する。何度かやっているうちに、まるで漢字の書き取りのように機械的に作業を進めるのだ。絵を描くことすら、どこか機械化されてしまう子どもたちの心と手。そんな授業では子どもたちは表現の主人公であることを少しずつ諦めていく。今回、母校での子どもたちの絵を見て、子どもたちの受身の姿勢は何も変わっていないことを実感した。
今回、僕が一番に思ったのは、何よりも心を表現する楽しさを味わってほしいということだった。授業の最初、僕は突然床に模造紙を敷き、その上に寝ころんだ。そして、その僕の体のラインをなぞるように子どもたちに頼んだ。

課外授業人型1.jpg 課外授業人型2.jpg 

「えーっ?!」と言いながらも、数人が黒いマーカーを片手に僕のボディーラインを描きはじめた。クラス全員が興味津々である。そして、出来上がった等身大の人型に、僕はポスターカラーで思いきり色を塗り込んだ。子どもたちから声が飛ぶ。「ピカソみたいだ!」そう、ピカソは子どもたちにとっても自由な絵のシンボルらしい。
次に僕は色を塗り込んだ人型を使って自己紹介をした。
「オレンジ色は僕が子ども時代に長崎で吸い込んだ太陽のエネルギー。緑色はいつも目にしていた山の色。青は夏には泳いでいた海の色!こういう思い出がつまっているのが僕なんだ」。

心の色はどんな色?
このワークの瞬間、子どもたちの目が輝いた。間髪を入れず僕は言葉を発した。「絵って心を描くんだよ」。
子どもたちの顔が困ったような、それでいてワクワクした表情になっている。心を描くって、どうするんだ……?
そこで、僕は最初に子どもたちが描いた写生画について聞いてみた。「バレーボールを描いた人は、バレーをやっている時に何を感じてるの?」
「頑張ろうとか、勝った時の嬉しさとか……」
「ピアノを描いた人は?」
「練習は大変だけど、うまく弾けた時は楽しい!」
「じゃ、その気持ちの部分を絵に描いてみようか?嬉しいとか楽しいってどんな色だと思う?」
ここから気持ちを色で表現するレッスンが始まった。全員が思い思いに感情を画用紙にぶつける。

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番組ではカットされたが、クラス全員で校歌を歌いその情感をそれぞれが絵にしたとき、様々な想いが色となって教室に溢れていくような感動的シーンもあった。
なんだかうまくいきそうな感じの一日目だったのだが、最後に子どもたちの感想を聞いて、僕はドキッとした。
「色で気持ちが出せて面白かった」。
「心って色で表現できるんですね」。
「思い切り気持ちを出せてすっきりしました」。
う~ん、あまりに出来すぎた答えではないの?子どもたちは僕の授業の意図を察知し、先回りして期待された答えを述べているふしがあるのだ。
子どもというのはあなどれない。大人に受け容れられる術を無意識のうちに身につけているのが子どもなのだ。教室の中での彼らは、どこまでも大人の期待にみごとにはまってくる。だが、それが彼らの全てなんかじゃない。そのことを大人は自覚していないと、子どもを見誤ってしまう。子どもたちの本音なんかそう簡単に引き出せるものではないんだ。実際、僕自身の子ども時代も簡単には大人に本当の心なんか見せなかったものだ。

色でケンカしてみよう!
さて、二日目、僕とディレクターは相談して急遽新しい色彩ワークを試みることにした。
「さあ、今日は“色でケンカ”をやろう。誰か僕とケンカする人いないか?」
やや挑発的な僕の誘いに二人の男の子が挑んできた。床に模造紙を広げ、僕対二人の男の子が対戦することになった。
一言も発せず、絵の具だけで感情をぶつけ合うゲームだ。僕が最初の一筆で色を塗ると、負けじとばかり彼らも色をぶつけてくる。歓声が飛ぶ。10分くらい戦っただろうか。大きな紙はドロドロになり、気づいたら3人とも素手を使ったペインティングに熱中していた。
“観戦”していた他の子どもたちはすっかり高揚し、うずうずしているようだった。「よし、みんなもやってみよう!」
その後の展開は想像にお任せしよう。

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40分ほど経った頃には、教室のフローリングの床は水彩絵の具でドロドロになった。子どもたちの色への欲望が噴き出し、もはや誰も止めることができなかった。子どもたちも手はもちろん、顔までも絵の具だらけになり、しかし、その表情は清々しいものに変わっていた。
そして、その後の時間は打って変わって静かな時間が訪れたのだった。
「これまで誰にも言えなかった大切な気持ちを色で表現してみようか」という僕の呼びかけに、自分の机に戻った子どもたちは、穏やかな表情で座っている。あたかも瞑想でもしているかのようだ。彼らの気分が動から静へと一転した瞬間だった。

12歳の心は深い
時間をかけながら少しずつこみ上げてくる感情があるのだろう。6年間の思い出、友だちとのケンカ、スポーツで負けた悔しさ、いじめられた悲しさ……。なかなか感情が出なくて、じっと白い紙を睨んでいる子も少なくない。特に男の子の中には、感情表現が不得意でなかなか色のイメージが湧いてこない子もいる。そんな子が絞り出すようにして、ついに気持ちを出してくれた時には胸が熱くなる思いだった。
授業も終わりに近づいた頃、全員が自分の描いた絵を見せながら色で表現した心について発表し合った。その語り口には、深く自分の心の底まで潜りターンして戻ってきたような、その子ならではの心模様が滲んでいた。卒業、友だちと別れる寂しさ、中学という新たなステージへの不安と期待……。
未知の世界への橋を渡ろうとする一人ひとりの思いは、期せずして僕を50年前に引き戻した。あの時、自分も不安の中で中学受験に取り組んでいた。12歳という子どもと大人の心が混じり合う微妙な時期。大人の世界への興味と畏れ……。手探りの中でとにかく前に進むしかない気分だったことを思い出す。
目の前で絵を見せながら語っている子どもたち。彼らの中に、未知の人生へ第一歩を踏み出そうとする孤独な表情を垣間見た気がする。
大人の思惑に適応する能力が高い彼らは、一方では、その柔らかく敏感な感性でどこまでも深く自分の心の中心にも降りていく成熟も見せている。その心の両面が交差した瞬間の表情にドキリとさせられる。もしも、大人がその複雑さを感じ取れなければ、子どもたちのいじめの世界も、自ら死に走る心にも盲目でいることになるのだろう。
子どもたちの心は深く、畏れるべき存在である。あらためてそんな気持ちを深めた二日間だった。

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性別を越えた“おんな”の魂

2007年01月15日


2006年の年末、久しぶりに劇団「態変(たいへん)」の舞台を見た。今回は座長の金満里さんのソロ公演。「態変」は障害を持つ人々で結成された劇団で、僕が最初に見たのは20年ほど前だった。今回と同じ「タイニーアリス」という新宿にある小劇場でのその舞台は、僕を打ちのめすほどの衝撃だったことを覚えている。体の自由がきかないまま舞台に運ばれその姿をさらけ出しながらのパフォーマンスは、それまで見たどんな演劇よりも心揺さぶる力に満ちていた。
僕は“追っかけ”になり、何度か金満里さんと話す機会もあった。そこで感じたのは、一言でいうならそれまで見てきた演劇やダンスなどがみな作り物でしかなかったということ。そのジャンルでいうなら、僕が唯一心を真っ新にして観に行きたいと感じる舞踏は、大野一雄の舞台だけだった。大野一雄が踊り出すだけで理由の分からない涙がこみ上げてくるのは不思議だった。そこで僕が感じたのは“作り物”を越えてしまった何かだった。しかし、芸術とはそもそも“作り物”の世界だ。その芸術が“作り物”を越えたらどこに行ってしまうのだろうか。この思いは、一方の「態変」の舞台を観る度にも抱いていた。ところが、ある時、大野一雄と「態変」がジョイントする舞台が実現した。必然の出会いだったのだろう。僕にとっては夢のような時間だったが、その中でこれはきっと何かが起きるにちがいないと感じた。

それからしばらく「態変」の舞台を観ることはなかった。そして、今回、知人からの連絡がきっかけでひょっこり出かけて行った。そして1時間たらずのその舞台を観ながら、大野一雄とのジョイントの後、金満里さんに何が起きたのか、その答えを僕なりに見たような気がする。言葉でいうなら、“美”のエネルギーとしかいいようがないものに包み込まれるような舞台だった。ここで僕が“美”というのは、ハッとして昨日までの自分のすべてが一新されてしまうような感覚を味わうことといったらいいだろうか。善も悪も、綺麗も醜いもない。日常の中でいつの間にか曇っていた感覚のフィルターが、思い切り水をかけられ透明感を取り戻させられるような何か。

金満里さんは、今回の舞台『月下咆哮』に寄せた文章の中で次のように語っている。

「私は大野一雄さんの踊りに触れ、男の中にある女性を演じるその演技に衝撃を受けた。……宇宙をも響かす心の襞のようなもの、を差し出されたような気がした。……今度は私の女からのおんなを演じなければならない番だと思う。それは単に悪女や聖母といった、二律背反的な世間から作られた女像ではないものとして……」。(抜粋)

それを僕なりに解釈すれば、人類の原初であり、同時に人間の完成形であるところの“おんな”の存在であり、「男」「女」を越えて、すべての人間の心に孕まれている生命力ではないかと感じる。人類そのものが宇宙から産み落とされた不自由な存在……。人は人間型の有限の生命を与えられ、その限界の中でもがき苦しみ、それゆえに自らの内に心という無形の命を孕み繰り返し再生する。それは、性別を越えた魂の“おんな”だ。大野一雄の舞台に触れる度に僕に涙を流させていたのは、きっとその魂の声だった。その響きは大野一雄から金満里の舞台へと巡り、僕の共鳴板をかき鳴らし続ける。

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金満里の舞台「月下咆哮」より スケッチ:末永蒼生

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「子どものためのクレヨン救急士」、来年の阪神・淡路大震災12年イベントで活動開始!

2006年11月16日

今回は「世界こどもクレヨン基金」主催の講座の話をしよう。この11月11日・12日は淡路島に行って来た。「子どものためのクレヨン救急士養成講座」の4回目、一泊二日の集中講座を、この島にある北淡震災記念公園内の研修施設でやってきた。 この講座は昨年、神戸でボランティア活動をやっている藤井昌子さんと僕が協力して設立した「世界子どもクレヨン基金」の活動の一環として今年7月から現地・神戸で開いている。 藤井さんとは11年前の阪神・淡路大震災の時、「空とぶ子どものアトリエ」を組織し子どものための出張アトリエを立ち上げた仲。ショックを受けた子どもたちに絵を描くことで元気を出してもらいたいと思い始めたものだ。それがきっかけで、災害に限らず、事件や病気などで苦しむ子どもたちの心のケアを目的として生まれたのがこの基金だ。最近、子どもたちの痛々しい事件が絶えないが、少しでも子どもたちに心と目を向け、心のケアに関わる人が増えることを願って始めたのがこの養成講座である。

今回初めての淡路島だったが、やはり心にドーンと響いたのは、北淡震災記念公園にある野島断層の保存施設だった。11年前の阪神淡路大震災では、この淡路島も大きな被害を受けた。その時の盛り上がった道路など、野島断層の衝撃の跡を一部保存してある。保存館の入り口には当時もろくも崩れ、その映像が世界中にショックを与えた高速道路(国道43号線陸橋)も、倒れた姿のまま復元して設置してある。僕も入館した途端、そのレプリカに息を呑んだ。その他、震度7の揺れを体験できる地震装置や震災のドキュメンタリー映像の上映コーナーなど、震災の教訓をあらためて噛みしめることのできる貴重な施設になっている。 日本人は何でも忘れやすいと言われるが、この地震列島ではいつどこで大地震が起きても不思議はない。6000人を越える死者を出した阪神・淡路大震災の経験はもっともっと語り継がれていいと思う。そのためには、このような具体的な被災跡を保存することは不可欠だ。

「子どものためのクレヨン救急士養成講座」を昨年企画した時、一度はこの淡路島での講座を実現したいという思いはあった。それが、ふとしたことからここの副館長の米山正幸氏から神戸の「世界子どもクレヨン基金」事務局(藤井昌子)に連絡があり、11年前の子どもたちの絵を保存展示してもらえることになったのである。そんな嬉しい縁もあって、今回は現地淡路島での講座が実現した。 受講者は全国各地から参集している。職種もさまざま。もちろん学校の養護教諭やカウンセラーなど直接子どもの心のケアに関わっている人もいれば、これから地域でのボランティアに活かしていきたい人もいる。受講生の熱意は高く、どんな立場であれ何か子どもの役にたちたいという思いが溢れているのが伝わってくる。

今月に入ってからはマスメディアがイジメで自殺をする子どものことを報じない日がないほどだ。一方、親による子どもの虐待も相変わらず目立っている。今、日本人は自らの社会が確実に崩壊していくのを実感しているのではないだろうか。しかし、この現象は突然に起きたわけではないと思う。80年代の不登校問題や校内暴力、90年代のイジメや学級崩壊。神戸での連続殺傷事件……。そしてこの10年、虐待で子どもたちが次々に命を落としていった。家庭と学校。最も子どもが守られるべき場所で子どもが危機的状況にあったことは、社会の基盤が相当に腐食し続けていたことに他ならない。その子どもたちのSOSに大人社会はあまりに鈍感であったとしかいいようがない。本当に、僕たち大人はこの10年何をやってきたのだろうか。“災害”や“戦争”は外国ではなく、この日本でこそ頻発している。そんな中、いたたまれない気持ちで過ごしてきた大人も少なくないはずだ。今回、養成講座に集まって下さった人たちはそういう思いを抱えておられる人々だと思う。そんな人々と出会えたことで、僕たちも闇の中に一筋の光をかいま見たような気持ちになれている。世の中、まだまだ捨てたものじゃないと思う。

いよいよ、来年1月21日には、第一期「クレヨン救急士」の認定式を淡路島で行う。出陣式といえばもちろん大袈裟だけど、正直、戦争しているわけでもない日本の中で子どもたちが日々命を落としていく現状は、“心理戦争”が起きているとしかいいようがない。つい、出陣式などといいたくもなるのだ。少なくとも、“野戦病院”に送り出すメンバーが足りないというのが実感。仲間が増え、各地で“心の救急士”が活動できるようになるかと思うと、本当に嬉しい。そんな暖かい気持ちで、今回は淡路島を後にすることができた。  

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(1)高速道路倒壊現場の復元(野島断層保存館)

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(2)野島断層保存館内に展示してある
     「世界子どもクレヨン基金」提供の手形アート「piece for peace」

パソコンは21世紀のエレキギター

2006年07月27日

パソコンの普及で仕事は便利にもなったが、その分、日々機械に使われているような気分になることもある。チャップリンの映画『モダンタイムス』は機械にこき使われる人間の滑稽さが面白おかしく描いているが、あの映画を最初に見た時大笑いした自分が、今やその滑稽な人間になってしまっているのかもしれない。
そうは言っても、IT技術の普及はいい面もないわけではない。つまりパソコンを使えば、誰もが音楽CDや映像DVDを出せるようになった。つまり作家とプロデューサーの一人二役を兼ねて作品が発表出来る。
これは60年代の音楽シーンを思いおこさせる。つまり、特別な音楽教育を受ける以外にプロの音楽家になる道がなかったそれまでと違い、エレキギターの普及によって若者たちが世界に飛び出すことが可能な時代になったのだ。今、スーパースターになって活躍している矢沢英吉や坂本龍一も、二人目のエルビス、五人目のビートルズを夢見たかつての若者たちだったと思う。
その意味では、パソコンはそれを表現に利用すれば21世紀のエレキギターだ。そんな時代を反映して、僕のところにもいろんな“作品”が送られてくる。知っている人たちが、どんどん映像監督やミュージシャンになってしまうのだ。
ハート&カラーが主催している「色彩学校」や「子どものアトリエ・アートランド」の卒業生たちも、その例に漏れずさまざまな表現活動を繰り広げているようだ。

●ある卒業生が制作したDVD紙芝居『Knife』
「色彩学校」には我ながら驚くほど多様な人々が集まってくる。そんな受講生の一人、TAKAKOこと数野尊子さんからDVDが届いた。タイトルは『original DRAMA collction Knife』それはなんとも不思議な映像作品だった。アニメ、紙芝居、音楽……。いろんな方法がミクスチャーされた試み。ドラマの内容はさらに破天荒。時空を越えた魂の旅。「Knife」とは呪文剣の精霊を宿した少女の名前。そのオーラ輝く少女を軸に天文22年から慶長の関ヶ原の戦いの時代まで、松平竹千代から真田幸村、才蔵、明智光秀までが、アインシュタインの相対性宇宙を遊泳するように、愛のメッセージを奏でながら活躍するシュールな物語。僕は自分の子ども時代にわくわくしながら見た東映時代劇『里見八犬伝』を思い出してしまった。
もしかしたら、少女Knifeは、この作品を制作したTAKAKOその人ではないかしらと思う。ひょっこり「色彩学校」に遊びに来てくれる時など、この「Knife」の登場人物そのもののような、ちょっとこの世の人とは思えない超カラフルなコスチュームで登場する。なかなかのオーラである。お話をすると、子どもがそのまま成熟したような無垢な言葉が飛び出してくる不思議な存在感。
実は、数野尊子さんはカラーデザインから声優養成までを手がけるアクトウリス(http//www.acturis.jp/)というユニークなスタジオを経営している。子どものような天衣無縫の数野さんと会社経営者の数野さんが僕の中ではうまく結びつかなかったのだが、このDVD「Knife」を見て初めて納得がいった。きっと彼女にとっては、仕事も生活もこの世の時間の全てが、この魂のオーラを輝かせ、出会う人々の心を明るくするための活動なのだろう。「色彩学校」と数野さんがご縁があったのも今さらながらうなづける気がする。

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写真:TAKAKOさん制作のDVD紙芝居『Knife』

●健ちゃんはミュージシャンになった
数年前まで「子どものアトリエ・アートランド」に通ってきていた男の子、健ちゃん。当時、慢性的な病気を抱えていたこともあって、小学校にはほとんど通えない状況だった。その代わり、アトリエはすっかり気に入って毎月やってきては絵や工作に熱中していた。恐竜図鑑を写せば天下一品だし、好きな大相撲からヒントを得てオリジナルの取組み四八手や番付表を作ってしまうほど。インスピレーションとアイデアいっぱいの子だった。その健ちゃんも中学校に入るころにはアトリエを卒業。しばらくしてから、突然、自作のCDが送られてきたのだった。健ちゃんはいつの間にかミュージシャンになっていたのだ。同封の手紙には次のように書いてあった。
「ごぶさたしています。けんいちです。最近、絵はあまり書いていませんが、音楽をやって過ごしています。私はバンドでベースを弾いています。CDを作ったので聞いてください」。
アトリエで養った健ちゃんの創造力はすっかり音楽の才能として開花したらしい。これって、アトリエのセンセイとしては最高に嬉しい!
それから2、3年後、またまた健ちゃんから2枚目のCDが送られてきた。「私も19歳になってしまいました。音楽をいろいろやっています。自信作とまではいかないのですが、ぜひ、聴いてください」。
CDのタイトルは『かぜそよぐとき』だった。タイトル通り、草原に風が吹き渡って行くようなさわやかな曲が収められていた。
それから間もなく、健ちゃんがボリビアに音楽修行に出かけたという便りが母親から届いた。うーん、やっているな、健ちゃん。この世にはいろんな事情で学校に行けなかったりする子どもがたくさんいる。子どもが育つ道筋も、社会に関わっていく姿も様々だ。しかし、どんな道であっても、その子どもを生かしていくのは創造力であることを僕は信じている。健ちゃんの場合は音楽を胸に世界に飛び立っていこうとしている。健ちゃん、心の中にいつも風がそよいでいるんだね。

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写真:健ちゃん作成の自作CDジャケット

ファザーリング講座、始めます

2006年06月19日

トップページでお知らせしたように、7月にはハート&カラーとしては新しい試みとなる「ファザーリング講座」を開催します。今、子育てや教育のシーンで混迷を深める日本の社会ですが、僕は、もともと子どもの問題の原因の大半は、子育てが女性だけに負わされている極端な性別役割にあると考えています。近年の調査では、父親が育児や子どもと過ごす時間にかける割合が、先進国の中で日本がいつも最下位という恥ずかしい結果が出ています。
このような大人の都合によるアンバランスは、子どもにとっても迷惑かもしれないし決していいことではないと思うのです。子どもだってその時々に、また必要に応じて母親と父親、両方との接触を求めながら育っていくものです。

僕が今回のようなパパもママも含めた子育て講座を最初に試みたのは、今から30年前の70年代の初め。ちょうど僕自身も子育ての真っ最中でした。
その時のタイトルは「男と女のための子育て講座」というもので、西荻窪にある「ほびっと村」という、自然食や健康法、環境問題に関心を持つ人々が集まって出来た場所でした。ここで色彩ワークショップをやりながら、この子育て講座を友人たちと始めたのです。
毎回テーマを決め、ゲストを招いたり、イギリスのフリースクール「サマーヒル」のドキュメンタリー上映会を開催したりしました。この時にライブで同時通訳をして下さったのが、菜食文化研究家の鶴田静さんでした。彼女はその後、著書『ベジタリアンの文化誌』でとても有名になりましたが、「色彩学校」のゲストとしても度々協力をしてもらっています。(前回の僕のブログで彼女の新刊を紹介しているので、まだ見てない人はぜひ読んで下さい)

子どもを育てることは、女の人生にとっても、男の人生にとっても、とても意味のあることだと思います。僕も一人の子どもを育てるという経験から、どれだけ多くのことを学んだかしれません。何より、日々の日常生活が新鮮な感覚で感じられたし、子どもと向き合うことでやっと一人前の人間に育った気もします。「子どものアトリエ」の仕事でも自信を深めることができました。だからあえて言えば、こういう経験を女性だけに任せておくのは、とてももったいないと思うのです。
もちろん、子育ては血のつながった親だけのものではありません。次にどんな時代を創造していきたいかという意味では、すべての人が参加できるはずです。なので、当時の講座にも面白い活動をしているいろんな人たちが参加し協力をしてくれました。

今、時代が一巡りして、再び、女性と男性がコラボレーションしながら、共に住み良い社会を作っていく必要が出てきていると感じます。その原点に子どもたちとどう向き合っていくかということがある……。
実際、「子どものアトリエ・アートランド」では、子どもとのつき合いを楽しんでいるお父さんたちが、熱心に送り迎えをしてくれています。そうして子育てをシェアリングできれば、お母さんたちに少し気持ちの余裕ができ、虐待につながるようなストレスも軽減されるのではないでしょうか。パパとママが楽しい気持ちで自分と関わってくれる……、そんな空気を吸って育つことが、子どもにとっては何より大事な心の栄養になるのです。

*「ファザーリング講座」に関しては、今UPされている「毎日新聞・こころの世紀」の連載でも、子どもの絵の話とともに書いています。よかったら、そちらも読んでみてください。(このブログのコーナーにある毎日新聞をクリックするとすぐにアクセスできます)

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1972年頃。「子どものアトリエ」の現場でも息子は側にいたので、僕の仕事を見せることができた。

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花が咲き、友からの便りが届いた

2006年04月14日

待ち遠しかった季節。桜の散る美しさを味わい、木々が緑の葉を広げはじめたこの時期は最高。冬、腰痛に苦しんだ僕にとって、この暖かさは待ちに待ったものだった。そこへ、モノづくりをする遠くの友から次々に元気な便りが届けられた。今回は彼らの活動を紹介しよう。

 

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まず最初は、千葉・鴨川に暮らす菜食文化研究家の鶴田静さんと夫で写真家のエドワード・レビンソンさんの二人から、新しい共著『二人で建てた家』(文春PLUS)を送っていただいた。二人の共同作業になる本はこれで何冊目だろう。同じシリーズの『田園に暮す』をはじめ、行間に風が流れているような鶴田さんのエッセイとレビンソンさんの光溢れる写真のコラボレーション。本を手にする度、いつも深い呼吸を促してくれる。

彼らが自分たちで家を建てたという話しを聞いてさっそく現地を訪ねたのは2年近く前の夏だった。迎えてくれたその家は、まさに彼らが名づけた「ソローヒル」という屋号にふさわしい姿を見せてくれた。広い空とぐるり360度、自然の力に包まれている景観に心が解き放たれる。

ソローというのは、もちろん『ウォールデンー森の生活』の著者、ヘンリー・D・ソローである。19世紀半ば、奴隷解放を唱え市民の不服従の自由を主張し、何より自然と共生する暮らしを実践し、トルストイやガンジーが師と仰いだアメリカの哲人だ。全ての地域の市場化を進めるグローバリゼーションが地球を覆いつくそうとする21世紀、ソローの生き方は純度の高い地下水のように胸に染みる。今の日本で、ソローのスピリッツを受け継いだライフスタイルを生き抜くことは、日々、創造を繰り返すことに他ならない。自然との共生は「癒し」や「地球に優しい」というキャッチコピーのついた商品を買うことなどではない。鴨川のソローヒルには、自ら自然に応答して暮らしを手作りしていく厳しさと、それゆえの幸せの空気に満ちた生活空間があった。

彼らの本のエピローグに次のようにある。

「夫と一緒に、あらんかぎりの力を注いで開いたこの土地。愉しみながらも、肉体的精神的な苦痛に耐えて作ったこの家。大勢の愛する人々が集うこの場所。そこに永遠にいられるなんて、これ以上の至福があるだろうか…………。

さあ迷うことなく、新しい生き方の計画、企画、立ち上げ、そして動かし愉しむことを始めよう。いつかは終わるにしても、“今”は無限にあるのだから。」

この本からは文と写真の掛け合いで、二人のコラボレーションによるメッセージが伝わってくる。それは、経済原理に寄り掛からない、自然との対話を原則とする生き方から生まれる幸せはすぐにそばにある、という呼び掛けではないだろうか。(http://www.t-shizuka.com)

 

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同じ頃、今度は三重県熊野から一枚のCDが送られてきた。古くからの友、ミュージシャンの矢中鷹光さんがソロとしては初めて出したアルバムだ。矢中さんは、ヴォイスフルートという非常に珍しい独特の演奏をする。生の声で4オクターブも出るという。

CDのタイトルも『Voice  Flute』(http://www.tennyoza.com/)。僕も何度かライブを聴かせてもらったことがあるけど、とても不思議な、自在な音が響く。人間そのものが素晴らしい楽器だということを思い出させてくれるのだ。

じつは矢中さんはシンセサイザー奏者の矢吹紫帆さんのパートナーで、20数年にわたって共に音楽活動を続けてきた。僕も、15年ほど前にこの二人と、色をテーマにした『色彩楽』というCDを共同制作したことがある。ピンクから始って様々な色のイメージを矢吹さんが作曲演奏したこのCDは、今でもわが「色彩学校」のテーマ音楽として、受講生に愛され続けている。このCD制作の時も、矢中さんはスタジオで力を注いでくれた。その時は彼がヴォイスフルートでCDデビューするなんて想像していなかったけど、今回のアルバムを聴くとそのイメージの幅の広さ、奥の深さに引き込まれてしまう。あの妙なる声はどうやって出るのだろう。

リーフレットには本人の言葉として「このヴォイスフルート唱法は下丹田に氣を入れ、口にかすかな空気腔を開け裏声でうなるという極めて単純な発声法です。口の形を微妙に変化させると様々なニュアンスが出ます」と説明してある。それだけ読むと簡単なようだ。僕も真似してちょっとやってみたけれど、やたら咳き込むばかりで、とてもとてもあの伸びやかな音色には程遠い。矢中さんの長年の工夫とトレーニングが積み重なってあのような美しい演奏が生まれたのだろう。

さらに、矢中さんの音楽には技術だけではない、何かとてもダイナミックな力を感じる。もしかしたら、それは、今彼らが生活している熊野という土地の磁力が乗り移っているのかもしれない。数年前、彼らが自ら作った音楽ホール「天女座」を訪ねた。最近、世界遺産に指定された熊野は、もともと伝統的な霊場である。「熊野詣で」で知られるように平安の昔から神々が宿る聖地だ。そのど真ん中に「天女座」はある。ホールのカフェの窓から外に目を向けるとそこは雄大な熊野灘が一望できる。ものすごいスポットなのだ。そこから眺めた黄昏の風景、やがて昇りくる月の輝き。一大パノラマを前に、1000年の昔にタイムトリップするようなゆったりした不思議な時間を味わったものだ。

こんなエネルギーの高い場所に暮らす矢中さんは、これからもますます豊かな音づくりをしていくのではないだろうか。また「天女座」を訪ねて、そこで月を眺めながらヴォイスフルートを聴きたいと切に思ってしまった。

 

胃袋が喜んだ沖縄の色

2005年11月30日

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仕事で日本の各地を旅するが、今月は沖縄まで行った。11月なのに、沖縄は東京の9月のような暑さだった。そんな温度差も含め、自分の体がほっとするのを感じる。長崎育ちの僕は、やはり南に行くほど細胞レベルでくつろいでしまうらしい。


今回は、3年ほど前に沖縄に移り住んだカラーセラピストの山内暢子さんが企画した「カラー・コミュニケーション フォーラム沖縄2005」にゲストとして参加するために那覇市を訪ねた。打ち合わせをかねた前夜の食事会ではもともと好きな沖縄料理ということもあったが、いつもに増して僕の胃は喜んでいたようだ。日頃は講演などの前日はあまり食べないようにしているのだが、この夜は楽しいお喋りとともに遠慮なく舌鼓をうってしまった。


食欲というのは正直だと思う。消化器は副交感神経の働きが関係しているといわれるが、たしかにくつろぐと食欲が湧くし、また食べると気分が落ちつく。東京にいるときは、仕事の合間にあわただしく食事をとることも少なくない。でも、沖縄では全身が副交感神経になってしまったかのようにうきうきと食べている自分がいた。いったいどうしたのだろう。


沖縄の暖かい空気や潮の香り、それに、もしかしたらその日の昼間見た色も僕の副交感神経を刺激したのかもしれない。それは、首里城の色だ。今では世界遺産にも登録されている首里城はその建物全体を彩る赤がなんとも美しい。東京などでもしも赤一色の建造物があったら、ケバケバしい感じになり見るのがつらいと思う。でも、豊かな緑や海に囲まれた沖縄では、首里城の赤がむしろ優しい印象すら与えてくれるから不思議だ。激しさや強さを秘めながら、同時に優しさを持つ赤い屋根瓦……。この独特の赤はどうやって作られたのだろう。


首里城の正殿は1989年から復元が始まったそうだが、その時、屋根瓦の色は沖縄の太陽の色をイメージして製作されたということを聞いたことがある。だから、あの赤は沖縄の光と響き合うように力強く、また優しいのだろう。その赤が放つエネルギーを浴びたせいか、その夜、僕の胃袋はすっかり弾んでいたのである。これから食欲が落ちることがあったら、沖縄の滋味豊かな赤を思い出すことにしよう。あの赤は、食欲増進の“カラーサプリメント”になりそうだ。

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モーツアルトは何色?

2005年10月13日

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                           (A)                                       (B)

僕はこれまでいろんな切り口で色彩ワークショップを行ってきた。色彩ワークショップというのは、参加者がクレヨンや水彩など好きな画材を使って思い思いに色彩表現を楽しんでもらう場。ストレス解消やリラクセーション、色彩感覚を高めるなど、参加者の動機もさまざまだ。


ある時、音楽を聴いてもらいその印象を色で表現してもらうワークを試みた。これが予想外に面白かった。

ここに紹介する2枚の絵AとBは、ある参加者がモーツアルトとビートルズを聴き比べて、そこから感じた色を表現したもの。その時の曲はモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」とビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」。
さて、どちらの絵がモーツアルトのイメージだろう?みなさんも想像してみて欲しい。
結果はAがモーツアルト、Bがビートルズ。この時は20名くらいの人に同じことをやってもらったのだが、モーツアルトに関しては、青など寒色系の色が目立ち、ビートルズには暖色が多く表現されていた。ということは、多少の個人差はあるものの、五感は互いに共通の連動の仕方をするのかもしれない。


最近の脳科学で「共感覚」という機能が注目されている。実験を通して、特に赤ん坊の段階で、視覚と聴覚、視覚と触覚などに「共感覚」が存在することが確認されているという。
ところが、大人になってもこの「共感覚」が働いている場合がある。特にアーチストに多いようだ。たとえば詩人・ランボーの『母音』という有名な詩では、「Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青よ、母音らよ…」というフレーズがある。そういえば、ビートルズを主人公にしたアニメ『イエローサブマリン』は彼らのヒット曲が極彩色の表現に置き換えられている。

これらの共感覚的なアートに触れると目眩くような感動と解放感を味わうことができる。人間は脳の発達に伴い役割分業が固定していくことで複雑な情報処理が可能になった。しかし、そればかりやっていると脳神経の方も疲れてしまう。そこで、時には五感がそれぞれに役割交換をするのかもしれない。

このような「共感覚」はいつでも楽しめる。カフェで聞こえてきた音楽、広告のキャッチコピー、あるいは通りを行き交う人々の印象を、色のイメージに置き換えてみてはどうだろう。きっと、脳の働きがリフレッシュするにちがいない。

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